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広島地方裁判所 平成元年(ワ)956号 判決 1999年3月24日

甲事件原告・乙事件被告補助参加人

亡平井保訴訟承継人

平井ヒデ子(A)

(ほか2名)

上記3名訴訟代理人弁護士

下中奈美

甲事件被告・乙事件原告・丙事件原告

亡砂田壽見訴訟承継人

砂田スミヱ(X)

上記訴訟代理人弁護士

舩木孝和

乙事件被告

国(Y1)

上記代表者法務大臣

陣内孝雄

上記指定代理人

小山稔

(ほか4名)

丙事件被告

広島市(Y2)

上記代表者市長

秋葉忠利

上記訴訟代理人弁護士

樋口文男

上記指定代理人

久保田守

(ほか11名)

主文

一  乙事件原告砂田スミヱと乙事件被告国との間において、別紙物件目録一記載の土地が乙事件原告砂田スミヱの所有であることを確認する。

二  甲事件原告らの請求及び丙事件原告砂田スミヱの請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用中、甲事件原告らと甲事件被告砂田スミヱとの間に生じた分は甲事件原告らの負担とし、乙事件原告砂田スミヱと乙事件被告国との間に生じた分は乙事件被告国の負担とし、乙事件原告砂田スミヱと乙事件補助参加人らとの間に生じた分は乙事件補助参加人らの負担とし、丙事件原告砂田スミヱと丙事件被告広島市との間に生じた分は丙事件原告砂田スミヱの負担とする。

理由

第一  事実関係について

一  当事者間に争いのない事実及び〔証拠略〕を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

1  旧道部分は、大正9年以前は本件里道及び里道に沿って存在した水路(それらの正確な位置は明らかでない。)の一部であり、周辺農地への道路として利用されていたが、観音村村長は、大正9年3月15日、当時の道路法施行令(大正8年勅令第460号)2条に基づく観音村会の諮問を経た上で、同年4月1日、当時の道路法(大正8年法律第58号、以下「旧道路法」という。)14条に基づき、村道三宅本線(本件村道)として認定、区域決定し、供用開始した。本件村道は幅員約1間(1.8メートル)であり、北側に沿って幅約70センチメートルの水路が存在しており、付近の田に水を供給していた。

なお、本件村道は、旧道路法においては国の営造物とされていたが、昭和27年12月5日、改正された道路法(昭和27年法律第180号)が施行されたことに伴い、観音村の営造物とされ、同法施行法(昭和27年法律第181号)5条1項の規定により国から観音村に無償で貸し付けられたもの(みなし貸付道路)とみなされた。そのため、本件村道は行政財産である公共用財産ではなくなり、普通財産とされ、それに伴い、国有財産法施行令5条1項4号に規定する引継不適当財産として建設大臣の所管に属することとなり、建設省所管国有財産取扱規則3条により、建設省所管で都道府県所属の国有財産の管理及び処分に関する事務は、国の機関委任事務として都道府県知事が行うこととなった。

また、旧道部分のうち道路の部分は道路法の適用を受けるため、その敷地の交換については道路法92条4項が適用され、交換に供される敷地の所有者の同意が要件とされており、具体的には前記の管理及び処分に関する権限を有する広島県知事の同意を要するものである。

2  昭和28年ころ、観音村は、当時の五日市町と合併する予定となり、合併前に20数か所ある村道の整備(拡幅等)を行うこととし、各部落単位で村会議員等の有力者が道路委員または建設委員となり、観音村と地元住民や拡幅予定の土地部分の所有者との調整、交渉、連絡に当たった。なお、道路委員または建設委員は調整役に過ぎず、観音村を代理して土地の管理処分をする権限を有するものではなかった。

本件村道についても、右整備の一環として、幅員を3メートルに拡幅することが計画されたが、同時に、本件村道が途中で屈曲しているため、道路の一部の位置を変更し、できるだけ直線状にすることも計画、検討された。右道路の位置の変更については、本件新道の位置に変更する方法と亡平井方を横断して三宅川に至る方法の2つが検討されたが、後者の方法については、亡平井(またはその先代)が賛成しなかったことや三宅川に新たに橋を架ける必要があることなどから採用されず、本件新道の位置に変更することが決定された。そして、新道予定土地及び拡幅予定土地の各所有者に対しては、地元の道路委員(または建設委員)である訴外青木忠雄(以下「訴外青木」という。)が調整に当たった。

訴外青木は、道路位置が変更される部分については、本件新道予定地の所有者から新道を造るための土地の提供の承諾を得るとともに、土地提供者からの要望に基づき、土地提供者に対し、不要となる本件村道の敷地のうち所有土地に接する部分を使用することを許諾した。

訴外長太郎〔編注、亡砂田壽見の先代〕についても、所有していた砂田所有地の一部である新道部分等を新道設置のために提供し、他方、訴外青木から、訴外長太郎が所有していた土地に接する本件村道の一部(旧道部分及び別紙図面のエ・サ・ソ・カ・オ・エの各点を順次直線で結んだ範囲内の土地)の使用の許諾を受けた。なお、訴外長太郎その他の新道予定地の所有者は、不要となる本件村道の敷地の一部を使用できることとされたため土地を提供したものであり、訴外長太郎は、使用の許諾を受けた土地部分は本件新道部分と交換したものであって、使用の許諾を受けた土地の所有権を取得したものと認識していた(もっとも、新道敷地の取得については予算措置はなされておらず、したがって敷地所有者から買い受けた部分はなく、観音村としては、不要となった旧道部分の使用を許諾することを前提に、無償で提供を受けたものと考えていたものであり、交換などの法的手続は一切取られなかった。)。

3  本件新道は遅くとも昭和29年には完成し、観音村は、道路法18条に基づき、本件新道(位置を変更した部分及び拡幅部分を含む。)を新たに道路の区域とするとともに、本件村道のうち本件新道完成によって不要となった部分(旧道部分など)を道路の区域から除外する区域変更を行い、本件新道の供用を開始した。これによって旧道部分は村道ではなくなり、それまで右村道を管理していた観音村は旧道部分を道路として扱うことをやめ、公用が廃止された。また、水路も本件新道に沿った位置に付け替えられ、従前、本件村道に沿って存在していた水路は使用されなくなった。

なお、前記のとおり、本件村道は国有地であり、また、その管理及び処分に関する事務は広島県知事が行うこととされていたが、当時、本件村道の拡幅や位置の変更に携わった関係者及び新道土地提供者らは、右のような所有関係や所管について正確な理解をしておらず(特に、新道敷地提供者らは、前記のとおり、本件村道は村道であるから、処分する権限も観音村にあるものと認識していた。)、また、土地所有者が提供した新道の敷地について分筆及び移転登記等の手続もなされないままとなった。

4  昭和30年4月1日、観音村は他3村とともに当時の五日市町に合併し、それに伴い、新道は五日市町道に編入され、町道三宅本線として引き続き一般交通の用に供されたが、新道の敷地について分筆や移転登記手続はなされず、新道土地提供者の所有名義のままとされ、新道土地提供者が使用するようになった本件村道の敷地についても何らの法的手続も取られなかった。

その後、昭和58年1月13日、当時の五日市町は、路線を整理するため、それまで認定されていた路線を一旦すべて廃止し、新たに路線認定を行う、いわゆる路線の一括再編成を行い、これによって、本件新道も一旦廃止され、新たに認定及び区域決定がなされ、供用開始がなされた。

昭和60年3月20日、当時の五日市町と広島市との合併に伴い、本件新道は広島市道に編入され、路線名を広島市道五日市区25号線と変更し、引き続き一般交通の用に供されたが、このときも本件新道の敷地や本件村道の敷地については何らの法的手続も取られなかった。

その後、昭和62年3月31日、広島市は、路線を整理するため、いわゆる路線の一括再編成を行い、これによって、本件新道も一旦廃止され、新たに広島市道佐伯3区63号線として認定及び区域決定がなされ、供用開始がなされ、現在に至っている。

5  昭和28年当時、本件村道付近は主に田であったが、新道完成後、本件村道のうち新道完成によって不要となり村道ではなくなった部分については、それに対応する新道土地提供者がそれぞれ使用するようになり、主として埋め立てられて畑として耕作に供され、一部は道路状のまま残されたところもあったが、全体としては道路としての用をなさない状態となった。また、昭和37、38年ころ以降は建物を建築するなどして利用するようになり、現在では多数の建物が建築されている。

6  訴外長太郎は、旧道部分等の土地について、新道敷地と交換したことによってその所有権を取得したものと信じ、昭和29年ころ以降、埋め立てて畑にし、業としていた植木業のために植木を植えるなどして利用し始めた。

訴外長太郎は、昭和36年9月13日に死亡し、同人の妻である訴外砂田ミカと子である亡砂田が相続し、さらに、昭和43年12月15日、右砂田ミカが死亡し、子である亡砂田が相続したが、右相続人らも、旧道部分は新道の敷地と交換したことによって所有権を取得したものと信じ、亡砂田らが旧道部分等の使用を継続した。

訴外長太郎及び亡砂田は、旧道部分について移転登記を求めたことはなく、公租公課も負担していないが、新道の敷地として提供した新道部分については依然として登記名義を有し、公租公課を負担しており、新道部分と旧道部分の交換はしたが移転登記が未了であるに過ぎないと考えていた。

7  平井所有地(広島市佐伯区三宅4丁目624番1)並びに同所624番2及び同所同番3の各土地は、もと亡平井壽太郎の所有であり、昭和28年当時は本件村道に接する1枚の田となっていたが、昭和28年12月25日、同人が死亡したことにより、平井所有地は亡平井が、その余の2筆の土地は訴外平井静人がそれぞれ相続によって所有権を取得した。

昭和28年ころ、前記のとおり本件村道の位置が変更になったことにより平井所有地は新道に接しないこととなったが、同所624番2及び同所同番3の各土地が新道に接しており、その部分から出入りをすることができたため、特に支障を生ずることはなく、亡平井が旧道部分を通行することはなかった。

その後、昭和30年ころ、訴外長太郎は、前記平井静人に対し、道路位置の変更に伴う交換により所有権を取得したと認識していた土地(旧道敷地)のうち、右平井静人所有の同所624番3の土地と新道に挟まれた部分のうち概ね別紙図面のエ′・サ・ソ′・エ′の各点を順次直線で結んだ範囲内の土地を譲渡した。

8  亡砂田は、昭和50年ころ、新道の拡幅のため、交換によって取得したと認識していた土地及び自己所有の土地のうち別紙図面のコ・カ・オ・ソ・タ・コの各点を順次直線で結んだ範囲内の土地を五日市町に提供した。

また、亡砂田は、亡平井の要請を受け、昭和52、53年ころ、亡平井に対し、平井所有地から新道に出るための土地として、別紙図面のエ・エ′・ソ′・ソ・オ・エの各点を順次直線で結んだ範囲内の土地を譲渡した。

亡平井は、昭和63年ころ平井所有地にマンションを建築し、その後、間もなく別紙図面のア・イ・ウ・エ・オの各点を順次結ぶ直線状のブロック塀を築造した。

亡平井は、昭和30年ころ以降右昭和63年ころまで、旧道部分が道路であることを根拠に、訴外長太郎や亡砂田に対してクレームを述べたことはなかった。以上のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

第二  甲事件について

一  原告平井らの甲事件請求は、旧道部分につき、昭和28年ころまでは村道であり、それ以後は里道であるとして、通行の自由権に基づいて妨害の排除または予防を求めるものである。

ところで、地方公共団体が開設した道路に対しては、地方公共団体の住民は他の住民がその道路に対して有する利益ないし自由を侵害しない程度において自己の生活上必須の行動を自由に行い得べきところの使用の自由権(民法710条参照)を有しており(最高裁昭和39年1月16日判決、民集18巻1号1頁)、また、特定の土地が現実に道路として開設されている場合には、当該土地所有者以外の者も右土地を自由に通行することができ(最高裁平成3年4月19日判決、裁判集民事162号489頁)、通行が日常生活上必要不可欠である場合には、これらの自由権の妨害は不法行為を構成し、また、妨害が継続する場合にはその排除を求める権利が認められることになる(前記最高裁昭和39年1月16日判決)。

二  そこで、原告平井らに右妨害排除請求権が認められるか否かについて判断するに、まず、前記認定のとおり、旧道部分は、昭和29年ころ、本件新道の完成に伴う道路の区域変更によって村道ではなくなっており、原告平井らが現在、村道であることに基づく通行の自由権を有する余地はない。

また、右道路の区域変更によって村道でなくなった後、旧道部分が再び里道の性質を有することとなったとしても、前記認定のとおり、訴外長太郎は、昭和29年またはその直後ころから旧道部分を埋め立てて畑にし、植木を植えるなどしており、旧道部分は道路としての形態を失ったこと、元観音村道のうち旧道部分を除くその余の部分も大部分は隣接地所有者によって道路以外の用途に使用され、全体として道路としての用をなさない状態になり、観音村も道路としての管理をせず、公用が廃止されたこと、亡平井や原告平井らも、昭和29年ころ以降、旧道部分を通行の用に供した事実はなく、亡平井は、昭和63年以後、平井所有地と旧道部分の間にブロック塀を築造していることなどの事実によれば、昭和29年以降は旧道部分に道路が開設されていたと認めることはできないばかりか、亡平井らの前示使用状況にも鑑みれば、旧道部分につき、亡平井や原告平井らに通行の自由権があるとすることはできない。

なお、原告平井らは、同原告らの旧道部分の通行が日常生活上必要不可欠であると主張するが、平井所有地は、もともと同所624番2及び同所同番3の各土地と一体をなし、同一人の所有に属しており、平井所有地以外の2筆の土地は新道に面していること、右各土地は相続によって異なる所有者に属することになったこと、亡砂田は、亡平井の要請で、平井所有地から新道に至るため元村道の一部を譲渡していることなどの事実に鑑みれば、旧道部分が日常生活上必要不可欠であるとは言えず、原告平井らの前記主張を採用することはできない。

三  以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告平井らの甲事件の請求は理由がない。

第三  乙事件について

一  乙事件請求原因1の事実及び同2の事実のうち昭和28年ころ、旧道部分が新道部分に付け替えられ、新道部分を道路の区域とするとともに、旧道部分のうち道路部分を道路の区域から除外する区域変更を行ったことは当事者間に争いがなく、同2の事実のその余の事実については前記認定のとおりである。

二  そこで、まず、旧道部分の所有権取得に関する原告砂田の主張のうち、交換による取得(乙事件請求原因5)について判断するに、昭和28年ころ、訴外長太郎と当時の観音村との間で、訴外長太郎所有の新道部分の土地と旧道部分を含む土地が交換された事実は、これを認めるに足りる証拠はない。

かえって、前記認定の事実のとおり、交換に関する書面が何ら作成されていないこと、権限のある観音村の担当者ではなく権限の認められない道路委員(建設委員)との間で調整や交渉がなされたに過ぎず、また、旧道部分について明確な所有権移転の意思表示もなされていないことなどの事実があり、これらによれば、訴外長太郎は、新道部分の土地と旧道部分の土地を交換し、旧道部分の所有権を取得したとの認識を有していたことは認められるが、交換につき権限のある観音村との間での意思の合致を認めることはできず、交換契約が成立していない事実を認めることができる。

したがって、被告国が主張する同意の点について判断するまでもなく、原告砂田の交換による所有権取得の主張は採用できない。

また、原告砂田の表見代理による交換の主張(乙事件請求原因7)についても、前提となる交換の意思表示が認められないから、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

三  次に、取得時効による所有権の取得の主張(乙事件請求原因11)について判断する。

1  前記認定のとおり、旧道部分は、昭和28年ころの時点では国有地としての道路と水路(もっとも、道路と水路のそれぞれの正確な範囲は明らかでない。)であったが、道路であった部分は、昭和27年の道路法改正によって普通財産となり、昭和29年ころ、道路の付け替えに伴う路線変更によって公用が廃止された。また、水路も新道部分に沿う位置に付け替えられ、旧道部分のうち水路であった部分は新道の供用開始とともにその形態や機能を喪失したが、道路部分と異なり明示的な公用廃止はなされなかった。

2  そこで、まず、旧道部分のうち道路であった部分について判断する。

右部分は昭和29年ころ公用が廃止されているから取得時効の対象となることは明らかであるところ、前記認定のとおり、旧道部分については、昭和29年ころ以降、訴外長太郎が畑として使用し、昭和36年9月13日に訴外長太郎が死亡した後は亡砂田と訴外砂田ミカが、昭和43年12月15日に右砂田ミカが死亡した後は亡砂田が、それぞれ使用を継続して占有した事実を認めることができる。

被告国は、訴外長太郎及び亡砂田の占有が所有の意思に基づくものではないと主張する(乙事件抗弁)が、前記認定のとおり、訴外長太郎は、昭和29年当時、旧道部分は、新道部分と交換したことによって自己の所有になったものと信じて占有を開始したものであり、亡砂田も、昭和36年以降、訴外長太郎から旧道部分を相続したものと信じ、所有の意思で占有したものであるから、いずれも所有の意思に基づいて占有を継続したものと認めることができる。

確かに、訴外長太郎及び亡砂田は、旧道部分について公租公課を負担しておらず、また、登記名義を得ようとした形跡は窺われないが、前記認定のとおり、訴外長太郎及び亡砂田は、敷地提供をした新道部分についても登記名義がそのまま残っていることから、旧道部分についても単に移転登記が未了であるに過ぎないと考えていたものであり、右態度、行動を目して一概に所有者として不自然、不合理なものと評することはできないから、所有の意思を有していたとする前記認定を左右するものではない。

以上によれば、旧道部分のうち道路であった部分については、遅くとも訴外長太郎が占有を開始した昭和29年から20年を経過した昭和49年12月31日には取得時効が完成し、亡砂田が所有権を取得したことが認められる。

3  次に、旧道部分のうち水路であった部分について判断するに、水路部分については、道路であった部分と異なり、明示的に公用が廃止された事実を認めることができないところ、水路のような公共用財産については、そのままでは時効取得の対象となり得ないが、長年の間事実上公の目的に供用されることなく放置され、公共用財産としての形態、機能を全く喪失し、その物のうえに他人の平穏かつ公然の占有が継続したが、そのため実際上公の目的が害されるようなこともなく、もはやその物を公共用財産として雑持すべき理由がなくなった場合には、右公共用財産については黙示的に公用が廃止されたものとして、時効取得の対象となると解すべきである(最高裁判所昭和51年12月24日判決、民集30巻11号1104頁)。

そこで判断するに、前記のとおり、本件村道に沿って存在した水路は、昭和29年ころ、道路の付け替えに伴って位置が変更され、旧道部分のうち水路であった部分も訴外長太郎によって埋め立てられて畑となり、以後、訴外長太郎及び亡砂田によってその部分が平穏公然に占有されてきたこと、そのため水路としての形態、機能を全く喪失したこと、右形態及び機能の喪失は位置の変更に伴うものであり、変更された水路が機能したことにより公の目的は何ら害されたことがなく、付近住民から苦情が出るようなことも全くなかったというのであり、これらの事実によれば、訴外長太郎が占有を開始した昭和29年の時点においては、黙示的に公用が廃止されていたものと認めるのが相当である。

そうであれば、旧道部分のうち水路であった部分についても、訴外長太郎及び亡砂田によって占有が継続され、それが所有の意思に基づくものであることは前記のとおりであるから、水路であった部分についても遅くとも昭和49年12月31日までには亡砂田が時効取得したことを認めることができる。

4  被告国が、旧道部分について亡砂田及び原告砂田の所有権を争っていること(乙事件請求原因12)は当事者間に争いがない。

5  以上によれば、原告砂田の乙事件の請求は理由がある。

第四  丙事件について

一  丙事件請求原因1の事実が認められることは前記第一で認定したとおりである。また、同2の事実については、前記のとおり、砂田所有地は、少なくとも訴外長太郎が新道部分を新道敷地として提供するまでは、その全部が訴外長太郎の所有であったこと、亡砂田は、昭和36年9月13日の訴外長太郎の死亡及び昭和43年12月15日の訴外砂田ミカの死亡により、訴外長太郎が所有していた財産を相続したことが認められる。

二  そこで、昭和28年ころ、訴外長太郎が観音村に新道部分を寄付したか否か(丙事件抗弁1)について判断するに、前記のとおり、訴外長太郎は、旧道部分と交換する意思で新道部分を新道の敷地として提供し、他方、観音村は、訴外長太郎に旧道部分の使用を許諾することを前提に、同人から無償で新道部分の提供を受けたものと認識していたものであり、無償贈与(寄付)につき双方の意思に合致がみられないから、訴外長太郎から観音村に新道部分の寄付がなされた事実を認めることはできない。

三  次に、被告広島市による取得時効の主張(丙事件抗弁3)については、前記認定のとおり、新道部分は昭和29年ころ完成し、観音村道として供用が開始され、その後、昭和30年4月1日の五日市町との合併によって町道となり、道路として公然かつ平穏に公共の用に供されてきたこと、観音村は、新道部分の寄付を受けたものと信じ、所有の意思をもって村道として管理し、合併した五日市町も観音村から引き継いだ財産として町有地と信じて管理を継続し、道路として供用したものであるから、昭和29年ころの供用開始から20年を経過した昭和49年12月31日までには五日市町が時効によって取得したことが認められる。そして、前記のとおり、被告広島市は、昭和60年3月20日、五日市町と合併したことにより新道部分の所有権を取得したことが認められる。

なお、原告砂田は、市町村は所有の意思のある占有の主体になり得ない旨主張するが、右は独自の見解であり採用できない。

四  以上によれば、新道部分は被告広島市の所有に帰しているから、その所有権の確認を求める原告砂田の丙事件請求は理由がない。

第五  結論

以上のとおり、原告砂田の乙事件請求は理由があるから認容し、原告平井らの甲事件請求及び原告砂田の丙事件請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用(参加によって生じた費用を含む。)の負担につき民訴法61条、65条1項、66条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松村雅司 裁判官 金村敏彦 伊吹真理子)

物件目録

一 別紙図面のア・イ・ウ・エ・オ・カ・キ・ク・ケ・アの各点を順次直線で結んだ範囲内の土地

二 別紙図面のタ・ソ・チ・ツ・タの各点を順次直線で結んだ範囲内の土地

三 所在 広島市佐伯区三宅4丁目

地番 624番1

地目 宅地

地積 985.00平方メートル

四 所在 広島市佐伯区三宅4丁目

地番 616番2

地目 田

地積 2357平方メートル

以上

別紙図面

実測平面図 縮尺1/100

広島市佐伯区三宅四丁目

<省略>

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